嘆きの




月齢14。
豊かさを湛えた満月が、天空にある。
ティナは膝を抱えて、天窓から降り注ぐ柔らかな月の光に目を細めた。
今日は2回目の満月だから、外の世界と親しめなくなって約二ヶ月たったことになる。
今の季節の空気の匂いを、ティナは知らない。
記憶から想像するしか、それを知る術はなかった。
月が時間の経過を教えてくれていた。
死を迎えるそのときまでこの小さい世界で過ごすことになるのか、それとも誰かが迎えに来てくれるのか、
彼が心変わりをするのか、ティナには分からない。

「ティナ」

ティナをこの部屋に縛りつける声がする。
振り向かなくても、彼の顔を見なくても、彼が今何を考え、何を感じているのか、ティナには分かるようになっていた。
この部屋には、ふたりの要素しかないのだから。
彼は落ち着いているけれども、少し焦っているようだった。
ティナが何を見ているのか、気になっている。
ティナは少し安心した。
落ち着いているときのクラウドは、以前のような少し不機嫌で、優しい彼だ。

「月を見てたの、クラウド。」
万華鏡のようだった瞳は、様々なかたち、模様に変わることはもはやない。
ティナを愛し、ティナに苛立ち、ティナの存在に縛り付けられ、ティナしか見ていないその瞳。
いまやティナという要素のみで、クラウドの世界は成り立っていた。
「そうか。」
クラウドは呟き、毎晩ティナに言い聞かせる言葉を今夜も放つ。
「どこにも行くなよ」
ティナにはクラウドを落ち着かせ、満足させる仕草と言葉が分かっている。
微笑んで、言った。
「行かないわ。私はずっとここにいる。」

いびつで、満ち足りた世界にふたりはいた。


--------------------------------------------------------------------------------------


朝目覚めると、ティナはクラウドの横で膝を抱えて、目をじっと閉じていた。
夏の頃の水分を全て蒸発させるような陽光は影をひそめ、命に優しく語りかけるような柔らかい日差しがティナに降り注いでいる。
窓が少し開いていて、少し寒さを孕んだ風がカーテンを揺らしていた。
クラウドは、ティナの姿を見て安心する。
自分の決断は間違っていなかったのだと、改めて思った。
常にティナへの疑心と焦燥に駆られるよりは、こうして常に自分の傍らにおいておく方が、どれだけふたりにとって安全か計り知れない。
「おはよう、ティナ」
「クラウド、もうすっかり秋ね」
ティナは朝食の支度をしようとベッドから起き上がった。
そして、以前よりも口数が減ったクラウドとの会話の橋渡しのつもりで、口を開く。
「ふたりでよく行ったあの公園は、今どうなってるかしら。」
ティナは口を押さえた。
焦りと恐怖が一気にせり上がり、ティナの心を襲う。
心の奥が恐怖でがんじがらめになり、闇に突き落とされたようになった。
「クラウド、ごめんなさい。決して、外に出たいって言ってるわけではないの。」
クラウドにティナの弁解は届かない。
彼は落ち着きをなくし、心に起こったさざなみを、そのままティナにぶつける。
クラウドは、ティナの細い首を華奢な手に似合わない力で締め付けて、壁に押し付けた。
あの大きな刀を操っていただけのことはある、とティナはぼんやりと思った。

「公園、か」

クラウドの脳裏に蝶が舞った。
一度むしり取った羽根をまた植えつけたら、蝶はどんな風に飛ぶのだろう。
よろめいてそのまま蜜を吸いに行くのか、恐怖に支配された本能で、羽根をむしり取った人間のところに戻ってくるのか。
羽根をむしりとり、グロテスクな物体に成り下がるかと思ったティナは、病的な美しさを増している。

「行って来い。」

クラウドの予想外の言葉に、ティナはめまいがした。
期待よりも恐怖が湧きあがってティナを襲う。

「クラウド・・・いいの?」

「秋になってから、外に出てないだろう。」


------------------------------------------------------------------------


ティーダは今日も、春に黄色と青の蝶が飛んでいたところをぶらつく。
花は散ったけれども、植物に紅葉の気配があり、日に日に冷たくなる空気がティーダを少し高揚させる。
あのふたりの残像を追い、ティーダはよく公園に来ていた。
自分の敗北をかみ締めることはティーダの趣味ではなかったけれど、何回もかみ締めなければ、自分自身の敗北を認められそうにもなかったのだ。
ふたりの姿を見ることがなくても、敗北を知った場所で春の苦い思い出に浸ることで、ティナへの想いを強めているようなところが、ティーダにはあった。
けれども、今日は、残像ではなく本物がベンチに座っていた。
忘れもしない砂色の髪が風に揺れて、線の細い横顔が秋の日差しを浴びていた。

「ティナ!どうしたんスか?久しぶり・・・」
ティーダは彼女の変わり果てた姿に言葉を呑んだ。
可憐な容姿が幸福に輝き、過去と決別した生き生きとした笑顔があったからこそ、ティーダはあのとき去ったのだ。
今のティナは薄汚い感じがした。
不幸の予感が彼女にまとわりつき、やつれていて、そして何より細い首に残る暴力的な痕がティーダの憎しみを煽った。
あのときクラウドを微かに憎んだ気持ちは否定するべきものではなかったのだ、とティーダはくちびるを噛んだ。
ふたりの不幸を願い、嫉妬のままにティナを略奪すればよかったのだ。
「ティーダ」
久しぶりにみる友人は何も変わっていない。
はつらつとしていて、いつも飛び切りの笑顔で、ひとに不安感を与えまいとする、優しい彼。

ティーダに話して楽になりたい、とティナは思った。
彼なら全てを汲んで、分かってくれる。
もしかしたら、クラウドとティナの現状すら変えてくれるかも知れない。
前向きな考え、行動力、実現力で。

「実はね。」
そこで口をつぐんだ。
ティーダには、自分のことをいつも見守ってくれていたような安心感があった。
かつて、ティナがクラウドに感じていたような。
けれども、ティーダにクラウドを誤解して欲しくなかった。
今のようになる前は、人当たりは悪いが、優しく、正しい方法で女を愛せるひとだったのだ。
ここでティーダに全てを話せば自分への救済になるけれども、クラウドへの裏切りに他ならない。
自分がクラウドを裏切ったら、彼はこれから誰を信じて生きていくのだろう。

「話さなくても、ティナの現状は分かるよ。俺と一緒に行こう。」
差し出された手は、ティナがよく知るクラウドの華奢で貴族的な手ではない。
節くれだち、厚みがある、全てを包み込んでくれそうなティーダの手だ。
それは救済と自由だった。
その手を握れば毎晩感じる不安からも恐怖からも開放されて、月のみに外の世界を求めるような生活も終わるのだ。

けれども、クラウドは。
クラウドは傷を抱えて生きていくことになる。
心を蝕む孤独や不信に悩まされて廃人のようになってしまうあのひとを、誰が救えるのか。

「ごめんなさい、ティーダ。私、帰るね。」
「なんで・・・ティナ!」
ティーダはティナのか細い手を握り締めた。
ティナの手が砕け、自分の力で生きる術を選べなくなればいいのだ、とティーダは一瞬思う。
そうなったら、ティナは自分だけを頼って生きていけばいいのだ。
ティーダはティナを抱きしめる。
思っていた通り、儚くて、冷たい身体だった。
ティーダはティナの髪に顔をうずめる。
柔らかい感触は変わっていない。
「一緒に、行こう。」
「ごめんなさい。」
ティナはティーダの胸を押し、決然たる声で言った。

「私はクラウドのところに帰るわ。」

「ティナ!」

ティーダは思い切り叫んだつもりだったけれども、ティナに聞こえたかどうか、自信はなかった。







2009.01.08