晩夏


自らの生命を削るような蝉の鳴き声が、ぴたりとやんだ。
涼風が頬を撫でる。
足をとめて、西の方角を見るとたっぷりとした黒い雲がじょじょに青空を侵食していた。


スコール・レオンハートは百合の花束を手に坂道を上っていた。
清らかな白色で、大輪の花を咲かせるこの品種はカサブランカ。
毒々しい存在感を放つ花粉は花屋の手によりすっかり取り払われている。
カサブランカのみ10本のこの花束を、スコールは茎の部分を持ち花を下にして歩いていたのだが、重さに
耐えかねて背中に乗せた。
甘い香りが漂う。
ふと顔を上げるとゆるやかな上り道の先に小さく白や灰色の墓石群が見えた。
スコールは軽く頷き、滴る汗を袖で拭った。
SeeDの正装は日光をたっぷりと吸って、内側からスコールの肌を焼く。
あのひとに会いに行く時は、必ずSeeDの正装でなければならない、とスコールは固く信じていた。


墓地に着いたのと冷たい一滴が落ちてきたのは同時だった。
慌てて屋根のある休憩所に入ると、あっという間に雨のカーテンが降りてきた。
すぐ側に見える墓石が霞む。
スコールはカサブランカを傷つけないように注意しながらベンチの上に置くと、内ポケットから煙草を取り出した。
晩夏の墓所は、無人だ。
雨が屋根や墓石や地面を鋭く穿つ音とカサブランカの湿った甘い香り、煙草の苦味がしばらくの間スコールの全てになる。
そして、すぐそこにある白い墓。


雨の上がった空に気をとられて一歩踏み出すと、泥濘にはまり込んでブーツを汚した。
乾かないうちにふき取らねばと考えながら、雨雲が去った後の空を見つめる。
夏の濃い青の空は、様変わりしていた。
西の空を染め上げる黄金色。
高くなった空に浮かぶ刷毛で塗ったような薄い雲。
秋が近い。


白い墓には何も手向けられていなかった。
左の墓には萎びた花びらが落ちている代わりに、今が盛りの色鮮やかな花が生けてある。
右の墓にはところ狭しと酒が並べて置いてあった。
双方ともに、小まめに故人の世話を焼きに来ている様子が伺える。


その違いに少し胸を痛めて、スコールは墓前にカサブランカを置く。


「この時期にしか来られなくて申し訳ない」


スコールは敬礼した。
そして、墓石に彫られた小さな文字を撫でた。
慎重に、繊細に、そして全ての愛を込めて。


命日は今日、8月23日。


墓に変わった様子はなかった。
雨に濡れてつやつやとしている感じは、墓ではなく何がしかのモニュメントのようにも見える。


ふと足許を見ると、蝉が転がっていた。
スコールはそっと救い上げ、その亡骸を墓の陰に隠した。
雷雨や日光に朽ち果てるまで晒されるよりもずっとよい。


西から寂しい風が吹いた。
夏の湿気を孕んだ風とは違う。
乾いた冷たい風だった。


スコールは目を伏せる。
自分は悲しい季節に生を受けたのだ。
生命が滾る夏が終わる。


もう一度墓前で敬礼をすると、ゆるやかな坂を下った。




20100822