忘却の朝

SeeDの輸送艦がバラム港まであと30分となったのは、夜も明ける頃だった。
スコールは、デッキに出て、腕を思い切り伸ばした。
ある国家に請われて、楯突くゲリラを殲滅してきた。
血のにおいが鼻腔からはなれることはもはやないが、任務のあとは、頭のなかすら血のにおいに侵蝕されている、ような気がする。

船の中は暗く小さく、更に空気も淀んでいる感じがするのが、スコールには耐えられない。
脚は思い切り伸ばせず、腰をかがめてやっと歩けるような船内は、そうすることでSeeDたちのフラストレーションを高め、
殺戮に向かわせていた。
殺意が増すことは、任務成功の鍵なのだ。

他国の制海権内にいるときにデッキに出ることは、命を死に差し出すような行為だったが、そんなことはもう気にしなくてよいのだ。
ここはもう、バラムの制海権内なのだ。
その事実が、スコールの心を晴れやかにさせる。
東の空が、まだ何ものにも汚されていない青色に変わっていく。

帰ったら―そう、バラムにリノアと構えた家に帰ったら、まずリノアを思い切り抱きしめたい。
そうして、お湯を使って、戦いの記憶を滑り落とし、ほんの少し朝食を食べたら、
清潔な布団にくるまって、バラムの暖かい日差しのなかで、思う存分眠るのだ。

少し空想して、スコールはため息をついた。
それはもう決して体験できない過去の事実であることは、十分分かっている。

「ずいぶん寒いわね」
金髪をなびかせて、キスティスがデッキに上がってきた。
まだ夜の気配にのまれている太陽に目を細め、良い天気になりそうね、と呟く。
「ああ」
ジッポの火が風に煽られて、煙草に火がなかなかつかない。
舌打ちすると、やっと火がうつった。
「吸いすぎはよくないわよ」
二の腕をさすりながら、キスティスはやんわりと嗜めた。
スコールは無視して、煙をくゆらせる。
「このところ、あなた、ヘビースモーカーもいいところよ」
「・・・関係ないだろ」
キスティスをにらむと、彼女は微笑んだ。
幼い頃の面影がなんとなく漂う、華のある笑顔だ。
それでいて、どことなく陰鬱な。

バラム港がおぼろげながら、少しずつその輪郭をあらわしつつあった。
「さぁー、帰ったら仕事しなくっちゃ。自分の部屋と仕事先が一緒って、やっぱり嫌なものね。」
自虐的に言って、キスティスは伸びをすると、船内に戻っていった。
もうすぐで、バラムに着く。
リノアがいるバラム。
けれども、誰も自分のことを待っていない街、バラム。


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バラムでも有数の高級住宅街は、まだ眠っていた。
そこの奥まった道を進むと、スコールとリノアが住まうマンションはある。

まるで中世の街のように、ゲートで守られたタワーマンションに入ると、大理石の床に靴音が響く。
寝ずの管理人がスコールに挨拶し、スコールも軽く頭を下げた。
エントランスの壁一面の窓は海に面しており、クリーム色のたっぷりと布をとったカーテンのむこうに、朝日に浮かぶ海が見える。
鳥のかまびすしい鳴き声が聞こえ、嫌なことがこの世にあることすら信じられないような、すばらしいバラムの朝が始まりつつある。

スコールは、朝が来るたびに記憶がリセットされることを願っているが、GFにあったその副産物は、すばらしい朝にはないようだった。
朝にこそ、その力を望んでいるのに。
ゲリラをガンブレードで斬ったときの感触も、自分がSeeDであることも、リノアを愛した記憶も、全て朝に洗い流されればいいのだ。
夜にかけて記憶を積み、また朝にそれをぶち壊してもらうことを、もうずっと希っている。

海を見晴らせるように、上等な茶色い革のソファーとテーブルがいくつか置かれ、管理人が花を取り替えている。
アレンジの主役になっている青い花の名前を、スコールは知らなかった。

住民が交流できるようにと、管理人が心をこめて演出しているこの空間は、完全なる飾りものだった。
すなわち、このマンションのエントランスは、管理人の自己満足の発露であった。

エレベーターで36階につくと、スコールはカードキーでドアをあけた。
最上階の36階は、すべてスコールとリノアのものであった。

リビングに入ると、ニコチンとアルコールの匂いが充満していた。
クリーム色の大理石の床に、ところどころ足あとがついて、煙草の灰が落ちている。
管理人を呼んで掃除させなくては、とスコールは思った。
アーヴァインが「同棲祝い」に贈ってくれた、趣味のよいガラス張りのテーブルには、吸殻がいっぱいになった灰皿とワイングラスがふたつ、
チーズやクラッカー、アンチョビの食べ残しが広がっていて、下品な夜のパーティーがここで行われたことを示していた。
リノアは煙草を吸わないし、酒にも強くはない。
そして、足あとの大きさや形から察するに、ここで煙草をすっているのも、リノアに酒をすすめているのも、男であるのは明白だったが、
毎回同じ男かどうかは、分からなかった。
パーティーに気付いた頃、スコールは静かに怒り、その怒りをリノアとのセックスにぶつけていたものだが、そんなことも面倒くさくなった。
そもそも、そんな身持ちの悪い女に欲情することが恥ずかしくなったのだ。
なのにも関わらず、まだ愛していることも。
任務から帰るたびに、別の男の気配が漂う部屋に、そのつどショックを受けていることも。

リノアは、ソファに上半身を預け、眠っていた。
濃いベージュのファーを肩にかけ、上品なたまご色のベルベットで仕立てられたミニドレスを着たままだ。
華奢な白いミュールはだらしなくリノアの足元に放置され、ストッキングも無残に投げ捨てられている。
ビーズのクラッチバッグから小さなコインケースが覗いているのが見える。
パールのピアスが転がり落ちて、スコールの目にとまり、拾った。
見覚えはない。
スコールが人を殺して得ている金をくすねたのか、誰かからもらったのか。
どちらにしろ、スコールを愚弄するためにあるようなピアスだった。

「・・・スコール?」
リノアは目をこすり、顔をあげた。
まぶたについたマスカラの汚らしさに、スコールは顔を背けた。
「あとで全部やるから。」
憮然としたスコールの表情見て、リノアは適当に受け流す。
リノアにまとわりついてくる男たちは、その美貌と金目当てであるのは確実だったが、少しも自分の傍にいてくれないスコールに比べれば、
愛する価値があるというものだった。
スコールと恋に落ちた頃は、命がけで彼を愛し、少しでも彼を喜ばせようと努力していたけれども。
時間は、人を打算的にするのだ。

スコールが、玄関のドアを閉める音が、かすかに聞こえた。


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「あら。」
キスティスは、ドアが開く音に書類から顔をあげた。
スコールが、憔悴した顔で、所在なさげに突っ立っている。
戦場では輝ける英雄として存在していた彼は、仕事に疲れ、愛する人に裏切られた個人として、そこにいた。
スコールとリノアの不仲はなんとなく流れる噂で知っていたが、人ひとり殺しても憮然としている彼が、こんなに疲れきった表情をするとは。
いつでもスコールに抱かれる準備のあるキスティスは、微笑んで彼に手招きした。
そのために、バラムガーデンにある自分の部屋は、いつもきれいにしてあるのだ。
「コーヒーでもいれる?それとも紅茶がいいかしら。」
「いらない。」
スコールはサーモンピンクのカバーがかけられたソファに腰を下ろした。
うなだれ、顔を手で覆う。
「煙草、すっていいわよ。」
ミルククラウンをかたどった黒い灰皿を、スコールの前に差し出す。
「ああ。」
嬉しかった。
リノアに嫉妬するのは無駄だと分かっていながらも、どうしようもなく彼女に羨望してしまう自分は醜かったが、
スコールの不幸は自分の幸せの第一歩だと考える自分は、もっと醜かった。
でも、嬉しいのだ。
スコールの気持ちは未だリノアにあっても、リノアはもうスコールのことを愛していなくても、
こんなに疲れているスコールを知っているのは、自分だけなのだから。
スコールは煙草は取り出さず、
「ここで休んでもいいか。」
と聞いた。
「もちろんよ。」
キスティスは微笑んで、スコールの傍らに座る。
スコールの肩に腕を回し、その上半身をぎゅっと抱きしめた。
彼の髪からは戦場の匂いがし、その身体の本質は、小さい頃と何ひとつ変わっていなかった。
すなわち、寂しがりやで、いつも何かに怯え、そのくせ孤高を決め込んでいる捻じ曲がった性格。
「すこし、眠りなさい」
スコールの耳もとで囁くと、彼はキスティスのひざに、頭を預けた。

スコールは寝ることで、朝を自分の望み通りにすることに決めた。




2008.12.20