桜の階段





胸元に飾りボタンとレースがあしらわれた、紺地に白い水玉のワンピースを着て、ティナは現れた。
育ちの良い女学生が何処かに出かける姿のようだった。

身を屈めて狭い通用口から出てくる彼女に、クラウドは思わず手を伸ばした。
「ありがとう」
それは、ティナが大勢に向ける商売用の技巧的な笑顔ではなく、自然に零れ落ちた笑顔だった。
ティナは華奢な手をクラウドに預け、ゆっくりと階段を下り始めた。
クラウドの心をじわじわと暖かい感情が満たす。
それは幸福であり、喜びであったが、征服欲が満たされた瞬間でもあった。

階段の脇に植えられた桜の老木は満開だった。
風に揺らされて薄くれないの花びらを階段に敷き詰め、ティナの髪に、ひとひら花びらを飾る。

その薄紅の花びらに見とれていると、ティナが抱きついてきた。
薄い背中に手を回し、自分が持つ全ての慈愛を込めて、ティナを抱きしめた。
頭を撫でると、花びらは風に舞って消えていった。

クラウドは、女神を手に入れたような錯覚にも陥った。
完璧なバランスの美しい身体、きめ細かい肌、人間の遺伝子が持ちうる最も美しい色をした髪と瞳。
目まいがした。
この美しい女が自分だけのものになるのは、むしろ畏れ多かった。

使い走りの少女が遠慮がちにティナに古ぼけたトランクを渡した。
クラウドは垢じみた少女の手足や、痣が目立つ肌をそれとなく見ると、目を伏せた。
少女の不幸せな姿は、この娼館の現実だった。
ティナは少女に何事が呟くと、汚れた髪の毛を撫でてやった。
自分の髪飾りを引き抜くと、少女に握らせた。
少女は嬉しそうにお辞儀をすると、早足で通用口に消えていく。

クラウドは何も言わずに、ティナの手からトランクを取った。
ティナの手にトランクが当たる。
少し乱暴な仕草になってしまったか、と後悔した。
「ありがとう、クラウド」
ティナはクラウドの腕に、自分の腕を絡ませた。

坂をぐんぐん下り、娼館は坂の上に遠ざかっていく。
性が売買されているとはとても思えない、木造建築の質素な建物だった。
切り妻造りで、ところどころ白いペンキが剥げている壁は、風情がある、と言えなくもなかった。

「ずっとここに住んでたのに、この道を通るのは2回目なの。変だよね。」

ティナがふいに言った。
自分が売られたときのことを思い出しているのか、悲しみに沈んだ目をしていた。

「クラウド、私を買ってくれて、本当にありがとう」
「買ってくれて・・・なんて、言うな」

ティナの傷を見た気がして、戸惑い、つっけんどんに言った。

「あんたはちゃんとした、ひとりの人間だ。買うものじゃない」
隣にはティナがいて、クラウドの左手は確かに彼女の体温を感じているのに、はっきりとした不安を感じた。
心に染み付いて離れない感情。
幸せを感じた途端に、音もなく現れて、暖かくて自分を抱きしめてくれるものを全否定する厄介ものだった

ティナを手に入れるために金を使ったのは事実だが、彼女も自分を好いていたからこそ、ついてきてくれたに違いない、と信じたかった。
彼女の自分への愛がなければ、この行為はクラウドが抱いているただの美しい幻想になってしまうからだ。
あとには、ティナを買った、という厳正な客観的事実が残るのみである。

それを振り払うため、クラウドは力強くティナを抱きしめる。

ティナを手に入れた。
それは自分にとっては魔法だった。

自分を心身共に健康で、力強い男にしてくれる魔法。




-----------------------------------------------------------------------------------



ティナの身体は、月光を受けて白く発光しているように見える。
シーツの海でたゆたう軟体動物のようだった。
くにゃりと男を誘う妖艶な生物。

しばらく見とれていると、内腿に痣のようなものがあることに気付いた。
薄闇の中目を凝らすと、それは痣ではなく数字の羅列だった。
人為的に彫られたそれは、929とあり、醜いひきつれのように白い肌に青く浮かび上がっている。
娼婦であったことを示す証拠に、クラウドは怒りを感じた。

自分と知り合う以前のティナを知る男は、一体何人いるのだろう。
そして、その男たちが知るティナを自分が知りえないことに今更ながら気付き、うなだれた。
どんなに金を積んでも、ティナが自分に心を傾けてくれても、その過去を変えることは出来ない。

クラウドは、爪先に力をこめて、ガリガリとその刺青を引っかき始めた。
爪をたてれば、あるいは消えてなくなるかも知れないと妄執した。
この数字さえ消失すればティナの過去も抹消されると信じた。

しばらくひっかくと、その部分がうっすらと赤みを帯びてきた。
熱を持ち、血の予感を孕んでいた。

熱を冷ますために、そこに舌を這わせた。
滑らかな肌は舌に心地よい。
弾力をもった内腿が微かな抵抗を示した。

929という数字を消すために何度も何度も舌を往復させていると、ティナが起きる気配がした。

「クラウド、どうしたの?」

驚きに目を見開き、得体の知れない快楽に戸惑っているようだった。
冷たい軟体動物だった身体は、うっすらと汗ばんでいる。

「なんでもない。」

一言呟くと、クラウドはティナの髪を撫でた。
シーツに波打つ髪の絹のような感触を楽しんでいるうちに、ティナは再び目を閉じた。


クラウドは、はっきりとした孤独を感じた。
ティナを自分のものにした、その幸せの絶頂に感じた不安は、この孤独だったのか、と自嘲した。





090414