氷の柩










「幻獣の血は、きっと君を不幸にするよ。ティナ」


エドガーの確信めいた声音に、ティナははっと顔をあげた。
彼は片眼鏡をかけて、眉間に皺を寄せている。
本を扱うときに、注意深く白い手袋をはめる彼の手は、あるページで繰ることをやめていた。
彼が普段出すふざけた調子の、朗らかな笑い声でないことにとても動揺していた。


「エドガー、どういうこと?」


動揺をとりつくろう余裕もなく、震える声でティナは言った。
心の奥深くに刻まれている、父の記憶がおぼろげに蘇った。
姿かたちははっきりとは思い出せないけれど、優しい面差しと自分を抱き上げる手のぬくもりがさっと現れた。
その父を穢されたような気がして、ティナは口ごもる。
ティナがマディンの娘だと証明するのは、彼女の身に流れる幻獣の血だけなのだ。


「幻獣と人間では、時間の流れる速さが違うってことさ」


エドガーは本を閉じ、眼鏡を外した。
すまないね、変なことを言って。と、彼はとりつくろうようにいつもの明るい声で言った。




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結露を指でぬぐうと、まっしろな世界が現れた。
昨日の夜、眠りに就くときは降ってもいなかったのに、とティナは思った。
雪は、一晩で世界を変える。
秋が去り、冷たい風に脅かされて冬の襲来に怯える世界を、いとも簡単に冷たさで包み込む。
窓に映る自分の姿は、もうずっと変わっていない。
金髪は豊かに波打ち、肌は清らかだ。


室内は、ぼんやりとした灰色に満たされている。
雪の色をそのまま溶かし込んだような、不安と孤独に満ち満ちていて、ここにはもう安堵はないのね、と
ティナは呟きながらベッドに腰かけた。


「幻獣の血は、きっと君を不幸にするよ。ティナ」


耳朶にはっきりと刻まれていたエドガーの言葉が、くっきりと蘇ってくる。
それは、無意識下でとぐろを巻き、ふとした拍子に鎌首をもたげる呪縛という名の蛇だった。


ベッドでは、クラウドが永遠の眠りを享受していた。
ところどころ銀色に変わった髪を撫で、苦悩のあとのように刻まれた皺をなぞった。


ティナは、クラウドの頬をそっと両手で挟んだ。
柔らかさはまだあった。
温かみのない、物的な冷たさが彼女の指先に伝わる。


幼かった彼に施された実験は、クラウドの心身をすみずみまで蝕んでいた。
ヒトならざるものの遺伝子は、身体を随分と脆いものにしていた。
魔晄は絶大なる力をヒトに与える代わりに、持てるものを全て吸い尽くしていたのである。


しかし、魔晄に侵された瞳の色は終生変わることはなかった。
人工の光に照らされた水面のような色だった。
深みのない平淡な水色に時々差した狂気はティナをぞっとさせた。
クラウドは本来大人しくて穏やかひとだから、その気色ばんだ瞳はいっそう不吉で暴力的なものに見えた。


でもね、クラウドのことを止められるのは私だけだと思ってたのよ。
クラウドは私のことが、とっても好きだったから。


ティナは、冷たい口唇に口づけた。
クラウドの胸に頬を寄せ、鼓動が聞こえないことをあえて確かめた。






091130〜091201