砲火や銃撃の音だけが周りに響き渡っている。さほど昔のことではないが、当時候補生だった自分がSeeDになるためにここに上陸した時もまたこのような状態だった気がする、と思ったところでスコールはひとつ、頭を振った。今は任務に集中しなければ。スコールはガリガリと音を立てる通信機に向かって、言葉を吐く。
「セルフィ、そっちはどうだ」
戦地での行動はスリーマンセルが基本であるが、援軍の来ないこの状況では仕方がない、と僅かばかりの間単独行動を敷いた少女は、相変わらずの口調で返事をした。
「こっちはバッチリ〜いつでもいけるよ〜」
状況に似合わぬ能天気な声だが、彼女の仕事は確実だ。もう戻って来い、と返したところに近くで足音が響き、身の内に瞬時に緊張が走った。スコールは咄嗟に後ろから向かってくる何者かを振り返って、その喉元に剣を突き付ける。
うおっ!という声と共に半歩下がって両手を上げたのは、戦況の偵察に行っていた戦闘時には格闘を主とする小柄な男だった。あぶねえな!という言葉を無視して剣を引き再び壁に身を潜めると、その傍らに男もしゃがみ込んでくる。ゼル、様子はどうだと問い掛けると、厳しい表情で遠くを見つめたままゼルは口を開いた。
「向こうにはもう人っ子一人いないぜ。南東のでかい建物には12、南に9、西に10ってとこだな」
大将はどっかに籠ってやがる、と呟くゼルの言葉を頭の中で反芻しながら、再び通信機に向かって呼びかける。
「アーヴァイン、ターゲットを見つけられるか?」
この少人数で分隊クラスの人数に囲まれれば、G.F.があるものの少々厳しい。自分達の任務はターゲットの抹殺であることを考えれば無暗に突っ込むのは得策とは言えなかった。
「・・・ちょっと難しいかも。やってみるよ」
30メートル程先の左手に見える、アーヴァインが待機をしている周囲より頭一つ分高い建物を厳しい表情で仰いでいると、再び通信が入る。
「そっちはどう、スコール」
地上からは見つけられないかしら、とアーヴァインの護衛についているキスティスが問いかけてくる。彼女は狙撃手のがら空きの背中を確実に守りつつも戦況を頭の中で構築し、任務遂行のために最も適したルートを綿密に計算する。目標は恐らく西に逃走するでしょうね、という言葉に西にはデリングシティがあることに舌打つ。町に逃げられたら厄介だ。その前にはガルバディアガーデンがあるとはいえ、先の戦役を見ればあまり当てにはできない。
「今、B班が到着したわ。西から回り込むようにして、こちらから仕掛けましょう」
了解と短く返すと、数メートル先の建物の陰で幾人かの影がちらりと動くのが見えた。戦場に目を凝らす鷹の目に、援護してくれ、と通信機に囁く。
じりじりと近付いてきた一団がこちらからあと3メートル、というところでどさり、と敵兵の一人が倒れる。数瞬遅れてぱあん、と乾いた音が響いた。狙撃手の弾丸。それが戦いの合図だと知っている身体は既に、地を蹴って走り出していた。ガンブレードを握る手に力が籠る。
戦場に立っていると何故か、いつも隣にあの男の気配が感じられる気がした。銃口を向けられる前に一気に距離を詰め、ひらり、と霞む幻影が大剣を振るったその軌跡をなぞるかの様に剣を振りかぶり、トリガーに指を掛ける。凶器を握る手は、いつだって乾いている。自分の隣にこの気配がある限り。
息を吐き、粉塵を裂いて、刃を一気に振り下ろす。迫り来る刃が、大きく見開かれた兵士の目に、ぎらりと光っている。

そこで、俄かに目が覚めた。
自分が横たわっているのは見慣れた白塗りの、立方の形をした箱のような部屋で、その一面だけが抜き取られたようにぽっかりと夜の海への出口を開いていた。のろのろと時計を見ればまだ少しばかり朝焼けには遠いようで、ふ、とひとつため息をつくと、夢の余韻か、緊張していた身体を弛緩させて、ゆっくりとベッドに身を沈める。全ては、遠い昔のことだ。今自分に残されているものといえば、身の内に未だ微かに光る、消えかかった灯くらいのものであった。満足に動かぬ身体を僅かに身じろがせれば、とうの昔に慣れてしまったはずの左腕に刺さる針の感覚が、今は少しだけ不快だった。
娯楽もないこの街では既に全てが寝静まっているこの時間、白い部屋に満ち満ちているのは点滴の落ちる音と、それを掻き消す様な心音を告げる電子音、そして幼い頃から聞き馴れた波折りの音だけで、スコールはそれらを一つ一つ聞き分けるかのように、そっと耳を澄ませる。

あれからどれ位の時が経ったのだろう。
昔戦場を共に駆けた仲間は既にその殆どが去ってしまった。未だその生を享受している、決して多いとは言えない自分の友人も、今では消息が知れなかった。それらの事実に再び息を吐き出すと、先程見たばかりの夢を頭の中で反芻する。それは最近の濁って形のはっきりしないものと違い、身を震わす程に鮮明に、スコールの中に焼きついていた。
思い出すまいとして、結局ずっと心の中に閉まっていた、あの煌めく影。ゆらりと立ち上る陽炎のようなうつくしさを持ちながらも、身を翻して敵陣に切り込むその姿、それらをどうして忘れることができようか。
思い出せば、おそらくこれが最期なのだから、と名前を呼びたくなった。名に言葉を乗せて送り出せば、届くだろうか、想いが。忘れたくない記憶だと告げるこの声が。
もう何年も、呼ばれることのない名だった。声を出すには少しばかり舌が乾きすぎていたが、スコールは口を動かして、空気を噛み締めることで音を吐き出そうとした。

しかし、波長が形作られる瞬間、唐突に部屋にひとつの気配が生まれたのを己の五感が告げる。
声を出そうとした口を微かに開いたまま、暫く思考が停止した。これは、これは自分がよく知るものではないだろうか。短い間だったがあの頃隣に立った、あの。
スコールは部屋の隅に、じっと目を凝らす。黒衣に包まれた男が、影からゆっくりと此方に歩を進めている。徐々に現れる色彩に、スコールはひとつ、瞬きをした。
そこにいたのは、夢にまで見たあの男だった。金の髪を靡かせ、天の色の目で此方を貫くあの、眩いばかりの麗人。その姿を瞳に収めた時、死に絶えようとしている自分の分子全てが、歓喜に震えるようだった。
ああ、変わらない、何もかも。
この男は記憶にある通りの美しい姿そのままで、自分の前に立っている。すこし俯いて此方を見るその目の中には、老いた自分が映っていた。

「あんたは、変わらないんだな」

からからに乾いた口をなんとか動かして、言葉を紡ぐ。目の前の男が夢か現実かは分からなかったが、今のスコールにはどちらでも良かった。ただその声を、もう一度だけ鼓膜の奥にしまっておきたかった。話しかければ、その姿は消えてしまうかもしれないが。しかし意外なことに、あんたこそ昔と変わらない、と男は呟くようにスコールの言葉に返事を返した。久しぶりに耳に届いた声に、スコールはこれは現実かもしれない、ともう一度、ゆっくりと目を瞬かせた。

黒いグローブが近づいてきて、最早あの頃の面影を残す鳶色が僅かばかりしか存在しない、そのほとんどが白で覆われた頭をそっと撫でられる。それは、自分があの時握った手の感触をじりじりと記憶の裏から蘇らせるものだった。

別れてからの年月。今思い出せば、それはバラムの白い砂浜についた足跡の様に鮮明に残り、しかしすぐにその波に洗われてしまうような、長いとも、短いともつかないものだった。こちらを静かに見つめるその青を覗き込めば、スコールは道が分かたれたあの日を思い出す。元の世界に帰ったあの日。自室の窓から覗く、何時もと変わらぬ潮騒と空を駆ける鴎達に、あれらのことは全て夢だったのかもしれないと感じた。
けれど、もう一度だけ会いたかった。闘争の記憶や、焼け尽くような傷の痛みがすべて夢であったとしても、それでも構わなかった。スコールにとって彼と戦場で肩を並べ、この手を伸ばし、その肌を重ねたという自らの胸の内に鈍く瞬く記憶の残像はいつまでも、スコールをこの硝煙ばかりの世界に繋ぎ留める理由であり続けた。

現実の頭を撫でる男の掌の感覚に、自分はもう、消えてしまうのだと感じる。あと僅かばかりの時間で、スコール・レオンハートという人格は微塵も残さずに、この細胞の一片一片から乖離していくのだ。けれどその温かさをこの肌に感じて自分はいってしまえるのだと思うと、スコールは少しだけ安堵した。
けれど。未だ瞼の奥にちらりと横切る他の残像に、スコールはまだ、目を閉じることが出来ない。
黒耀の髪をを持った、彼を騎士とするあのひと。愛することはできなかったが、大切だったのだ。スコール、とはにかみながら名前を呼ばれる度、自分は確かにじんわりとした何かを心のそこここに穿っていた。彼女は自分がいなくなってしまったらどうなるのだろう。騎士を失った魔女はひとり、生きてゆけるのだろうか。
スコールの瞳は不安に揺れる。嵐の予兆を前に、自分は去らねばならない。リノアを、何よりも再会したばかりのこの、両手に溢れる金の陽光を後に残して。
呼吸が少しばかり荒くなる。ピ、ピ、という規則正しい音だけが自分を今、この場所に繋いでいる唯一の楔のように感じられた。

「大丈夫だ」

突然響いた音の意味が、瞬時には分からなかった。重い瞼をなんとか押し上げれば、男は依然として無表情のまま、再びその口を開いた。

「俺が、なんとかする」

誰に、何をするとも、男は言わない。ただ、暗闇の中でも変わらず輝く黎明の青だけが、静かにひとつの決意を、約束を告げていた。
それは己と同じ世界に生まれ落ちることのなかった男の、未来の献呈だった。自分がこれから手放してしまうものを、クラウドはこちらに全て差し出していた。

クラウドが右手をこちらに向かって静かに伸ばしている。その手を掴もうと、スコールはもはや自由の効かぬ右手を伸ばした。剣を握り、屍を越えさせたこの手がもう一度、目の前の狼の手に触れられることが今はひどく誇らしく、それと同時にあの頃感じた愛おしさが、閉じ込めていた記憶を裂いて溢れ出すようだった。

視界が霞んでいく。金の輪郭がバラムの朝に溶けていく。自分は、その手を取れただろうか。

自分を形作っているものが、一枚一枚剥がれ落ちていくのを感じながら、既に感覚のない指先に力を込めた。
結んだ約束が千切れぬように、その僅かばかりの絆を手放さぬように。








『シーガル』のニトロさまからいただきました!
GWの企画としてアップされていたものです^^

*シーガルは閉鎖されました。すてきなお話をありがとうございました!





La printemps et automne de la nebuleuse
宴の後で